結婚式のテーマは「東京タワー」

私たちは、東京タワーにちょっとだけゆかりがある。

結婚式のテーマは「東京タワー」だった。

 

聞こえはよいが、他にテーマがなくそうなっただけだ。

特段、共通の趣味があったわけではなく、何かへのこだわりが強いわけでもなかったので、二人の思い出をプランナーさんに話す中で、東京タワーになった。

ほとんどプランナーさんの案で、サブタイトルに「〜二人を繋ぐ光〜」とまで付けてくれた。ロマンティックなプランナーさんが東京タワーにちなんだエピソードを引き出してくれた。なので、その後もそれなりに東京タワーを意識して生活をしている。

 

私たちの出逢いは、福岡で行われたお互いの大親友の結婚式。

二人とも友人代表のスピーチをした。彼のスピーチは自分の番でドキドキしており、覚えていない。彼も、終わった後でほっとしていたため、私のスピーチは覚えていないという。

その後の二次会で、友人同士で盛り上がった。スピーチお疲れだったねとみんなで話をした。そこにいる半数のメンバーが東京在住で、後日また食事に行こうとなった。そこで、彼の家が隣の駅ということが分かった。歩いて15分〜20分の距離。

 

それがきっかけで、ご飯に行くようになり、その後おつきあいに発展。

1年まえの11月11日に結婚をした。

 

その時に二人がそれぞれ住んでいた家からは、窓から、小さいながらも東京タワーが見えた。

東京タワーに見守ってもらってるね、と話していた。

二人でランニングをするコースも東京タワーをまわって戻ってくるコース。

 

また、二人でランニングしたいな。

今夜も東京タワーが見守ってくれてるね。

 

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病院の窓から見える東京タワー

入院3日目の15日火曜日。家から病院に向かった。

 

「よーーし」と気合を入れてリポビタンを飲んだ。

「こんなときこそ、笑顔!」

 

今日のしまちゃんは、うっすら目を開けて、声かけをすると少しだけ反応してくれた。

時々単語で言葉を発してくれた。ただ、全ての声かけに返せるわけではなく、少し意識レベルが高いときだけ返せる状態。それでも、反応してくれたり、声を発してくれるだけでうれしかった。

 

夕方スーツ姿の男性と女性が訪ねて来られた。

しまちゃんが勤める企業の附属病院の方。大企業に勤める夫は社会人になってから企業内の病院でしか診察を受けたことがない。健康診断も健康相談も入社以来そこに委ねている。当然ながら、赴任のための予防接種もこの企業内の病院で受けた。予防接種後、11月9日に容態の相談に行ったのも、この病院。

 

診察所長と書かれた名刺の方は、白髪頭の良い人そうな、いかにも医師という方だった。どうやら11月9日に夫が診てもらい、「おそらく予防接種の副作用です」と言った人のようだ。焦りや驚きを隠せない顔をしていた。

拙いながらも、私は、病名、症状、状況を説明した。

 

すると、その診療所長は、

「弁膜症ということは知っていました、しかし抜歯をしたことは我々は誰も知らなかったんです。もしそれを聞いていたら、9日の時点で直ぐに病院に連れていきました」

と悲しい顔をして告げた。

 

9日時点でかなり頭痛があり、そんな中で親知らずを抜いたなんて話、本人からするわけがない。

あなた方の会社がご丁寧に赴任の手引きに、赴任前に“歯の治療をしておきましょう”と書いたのだろう。私はその書類を見ていた。

だったら、弁膜症としっていた産業医はなぜそのアドバイスまでしてくれなかったのだろう。

あなた弁膜症の人が抜歯をすることは大きなリスクと知っていたなら、少しの機転で阻止することができたでしょう?

 

と心の中では思った。その人は歯科医ではないので、勝手な言い分だとも思った。

当然ながら、申し訳なさそうにしている2人にそんなことは言えなかった。

 

誰が悪いわけではない。

みんなでしまちゃんが早くよくなることを祈ろう、改めてそう思った。

 

この日の夜も病院へ泊まった。

 

控室の窓から見える東京タワーは目の前で大きく輝いていた。

とてもとてもきれいだった。

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「感染性心内膜炎」という病気

14日月曜日5時、一睡もしないまま、朝を迎えた。

循環器内科の先生に告げられた病名は「感染性心内膜炎」簡単に言うと、心臓に大きな菌の巣が出来ている状態。

参照:感染性心内膜炎|慶應義塾大学病院 KOMPAS

 

感染性心内膜炎だけで言うと、心臓に出来た菌の巣を手術で取り除けば概ね問題はない。しかし、夫の場合は、厄介なことに、その菌が全身に散りばめられてしまっていて、心臓以外の臓器、また、最悪なことに脳にまで飛んでしまっている。そのため、合併症として、脳梗塞くも膜下出血、軽い心不全を引き起こしていた。

 

脳に出血がある限り、心臓の手術はすぐに出来ない。

手術をしないと心臓の菌が飛び続け、いつまたどこにいくか分からない。

 

心臓の手術の際、一時的に心臓と人工心肺を取り替える。手術が出来ない理由は、人工心肺では、体内の血が凝固してしまうので、ヘパリンという血液凝固を起こさなくする薬を利用し、全身の血をサラサラにするため。

血がサラサラになってしまった瞬間、脳内に血がまわり、植物状態になる可能性が高い。脳の血が止まるまでは、手術は不可能。治療は、抗生剤の投与がメインとなった。最低でも4週間の投与となる。だが、抗生剤だけで、心臓の大きな菌がなくなることは難しい。

 

そもそも、感染性心内膜炎の原因は、イギリス勤務にあたって実施した歯の治療、親知らずの抜歯、もしかすると、予防接種も関連しているかもしれないということだった。夫は、5年前に検診で心臓弁膜症と言われており、心臓疾患がある人が体内に出血を伴う治療をする際は、細心の注意が必要で、菌が心臓に溜まりやすい。弁膜症自体は、そこまで状態が悪いわけではなかったので、気にしておらず、私も聞いたこともなかった。弁膜症を知る予防接種の先生、歯科医院の先生からも何も説明はなかった。

 

予防接種が重なったこともあり、状態の異変に気付くのが遅すぎた。私ももう少し早く病院に連れていけばよかったと思うばかりだった。脳に菌が行ったのは、恐らく日曜日。もうどんなに後悔してもしょうがなかった。

おかしいとは思っていたが、まさか夫が死に直面しているとは思ってもみなかった。心臓の病気、脳への菌、脳疾患、脳の障害、すぐに現実を受け入れることが出来なかった。

 

14日月曜日8時、CCU(冠疾患集中治療室治)への入院。

 

病室に入ると、しまちゃんは、たくさんの管に繋がれて病院のベットにしんどそうに目をうっすら開けて寝ていた。意識はほぼない。言葉も話せない。周りも見えておらず、焦点も合わない。そして、菌が血管に詰まり、全身には見ていて痛くなるほど赤い斑点があった。

 

「ご家族や本人に会わせたい人は全員呼んでください。本人の意識状態がかなり悪くなっています。いつどうなるかわかりません」と先生からの指示。

 

同日14時、友人や遠方の家族が揃い始める。

同日17時、改めて、病気の説明を受ける。

同日19時、ご両親に任せて、帰宅。

 

15日火曜日早朝、目が覚めた瞬間全てが現実になった。

いつも隣にいるはずのしまちゃんがいなかった。

目から涙が止まらなかった。

 これが夢であってほしいとひたすら思った。

 

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一緒にがんばろうね。

入院開始から2週間

 

はじめまして、ぱっちょです。

 

ブログをスタート。開始した理由は病気療養中の夫しまちゃんへエールを送るため。

命に関わる病気との診断を受け、緊急入院して今日で15日目。

ちょうど2週間前の日曜日の23時に夫は救急車で搬送された。

 

しまちゃんはまだ31歳。日系メーカーで働く会社員。新卒で入社した会社で10年積み上げてきた実績をもとに、12月からはイギリスロンドンへの海外赴任が決まっていた。新規プロジェクトの立ち上げという会社にとっても重要なミッション。

職種は人事労務。華やかそうな採用業務もするが、本人曰く、労務管理、雑務、社内調整がメインということ。細かい業務が自分には性にあっていると話していた。無駄を嫌う合理主義者。責任感があり、黙々とまじめに仕事に取り組むタイプだと思う。

 

11月に入り、赴任に伴う準備を着々と進めていた。会社からの指示通り、ビザの取得、歯の治療、ロンドンに住む予定の物件を一緒に楽しく探したり、しばし遠距離になってしまうことに寂しいと思いながらも、残りの1ヶ月間は二人の時間を優先しようと思っていたところだった。

 

2週間前の悲劇が起こるまでには、いくつもの前兆があった。11月7日、海外赴任に備えてワクチンを接種。内容は、A型肝炎B型肝炎破傷風狂犬病、インフルエンザ。1日に5本同時に接種するという弾丸スケジュール。

 

予防接種を受けた夜、残業で遅く帰ってきた夫は、倒れこむようにベッドに転がり落ちた。今まで見たことがない位に身体中が震え、40℃近くの高熱だった。家中にある毛布、お布団でひたすら包んだ。

その日以来、不可解な症状が1週間続いた。

それは、異常なまでの全身の筋肉痛、熱、頭痛、喉の痛み、食欲不振 etc

9日水曜日の午前中、再度医師に診てもらい、予防接種の副作用との診断を受けた。

こんなに副作用がひどいのかと疑いながら、12日土曜日救急病院へ電話するも、看護師さんからは同じ回答を受ける。

13日日曜日、夫は「ねぇどこにいるの?周りが見えない」と大きな声をあげ、遂には自分では立つことも座ることも身体を動かすことが全く出来なくなった。

 

明らかにおかしい。私はすぐさま救急車を呼んだ。

 

23時、近くの慈恵病院へ運ばれ、朝5時まで検査が続いた。

よくテレビドラマで観る光景、日曜日の夜中の真っ暗なロビーで夫が出てくるのをひたすら待ち続けた。

 

あの日からもう2週間。あの時よりは楽になったのかな。

道のりは長いけど、一緒にがんばっていこうね。一緒に治していこうね。

 

お祝いは出来なかったけれど、11月11日は私たちの結婚1周年だった。

早く元気になって、つめたーーいビールで一緒に乾杯しようね。

 

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